はっきりしているのは台所が汚れていることだけ

 何もかも思い込みなんじゃないかと思う。俺を思い悩ませるあれもそれも楽しかったこともないもかも全部。実際には少しのやり取りと、ねじ曲がってゆく認知と俺の性格とがあるだけで、ただ出来事があって、それだけなんじゃないかと思う。まぁ当たり前だといえばそうなんだけど。

 俺の、俺のしみったれた太った引きこもりの不細工な犬かなにかがひねりだした糞のような人格が糞の生産工場になっているんじゃないかと思うのだ。

 糞な世界、糞な人間、糞な建物、糞な床、糞な天井、糞な家電、糞な家、俺はありとあらゆるものが糞に思えて仕方がないが、世の中の人はそのようにして物を見てないようだし、多分俺が糞なんだと思う。


 糞パーソナリティで、自らの糞心象世界に糞を塗りたくり続ける糞が俺。俺がうんこでうんこが俺で。水洗トイレによって死んでしまった糞と時間を超えて入れ替わって糞の名を聞きたい、いや聞きたくない。そういうのは変態同士で勝手にやっていて欲しい。


 今日も寝つきが悪いし腰が痛いしそれでも朝はやってきて家を出なければいけなくなる。


 物心ついたときから、なんとはなしに生きづらさのようなものを感じてきたけれど、その感覚とは死ぬまでずっと付き合っていかなきゃいけないことはわかっている。だけれど、諦めはついているが、折り合いはまだついていない。