大きな壁

いつの頃からか、友人以外の人間と話しをする際は、あぁ、とかへぇとか曖昧な返事をすることが多くなった。以前は、好き勝手喋りまくり、相手がドン引きしているさまを見て楽しんでいたが、その分、真面目そうな人になんの危害も加えてないのに敵意を持たれたりしてうんざりしてしまった。こういった変化が、適応、分別、大人になるという風に表現される類のものであるとしたら、世の中はなんてつまらないものなのだろうと思う。

 

日々、当たり障りのない話をし、こちらからすれば真人間に見えない人物にも、どろどろとした部分や狂った一面があるのだろう。一度、本音なんてものは聞きたくないが、そういった部分を見てみたいと思うことが多々ある。だが、それは殆どの場合叶わないだろう。

 

俺は、俺の考えていることはわかるが、自分自身のことすら理解しているとは言えないだろう。そのくせ、人の心のうちを見てみたいと思うのは卑しいことかもしれない。俺は、自分の魂が呪われているのではないかと感じることが多々あるが、人の魂は等しく呪われているのだろうか。みなは自分自身についてどういう印象をもっているのだろう。

 

あぁ、とかへぇとか無難な答えを返すとき、自分がつまらない人間になったような気がすることがある。実際そうなのだろう。そして、四方を壁に囲まれたような錯覚に陥るのだ。自らが作った他者との壁、社会との壁、過去の自分との壁などがたちはだかる。これらは自分の世界にしか存在しないものだ。それだけに、どうにも悩ましく、乗り越え難い。

まぁ、色々やったけど、結局俺は何気ないやりとりを当たり前に出来る人間にはなれなかった。なりたくもないし。糞のプディングみたいな生活も糞を糞とも思わなければ平気だろう。卵と砂糖と牛乳を摂取したあとのうんこならプリンと変わらない。うんこの形がバナナっぽいならプリンアラモードっぽいし。ただ、残念なのは俺にスカトロ趣味がなかったことだ。悲しい色やね。

線路沿いの家

夜に何もせずぼーっもしていたら、がたんがたんという音が聞こえ、何の音か不審に思ったが、直ぐに電車の通る音だと気づいた。俺の住むアパートは線路沿いにあり、電車などはしょっちゅう通っているはずだが、よっぽど気の抜けている時にしか、その音は意識の上に現れることはない。

 

思い返せば、地元を出て最初に住んだ、外装だけは立派な壁の薄い安アパートも線路沿いに在り、電車の通る度に少し揺れて、住み始めてしばらくは落ち着かなかったのを覚えている。当時の俺はめちゃくちゃ貧乏だったが、他の住人も大差ない生活をしているように見受けられた。ゴミをきちんと分別して出す文化が浸透していなかったのか、収集されなかったゴミが常にゴミ捨て場に溜まっており、出かけるたびにれを見て憂鬱になっていた。

 

当時の俺は昼夜の区別のないような生活をしていて、朝、アパートの向かい側にある、一軒家に住んでいる子供を友達が迎えに来る声を聞いてから眠りにつくのが習慣のようになっていた時期があった。もう何年前だろうか。その子供も今は立派な青年になっているだろう。彼らの声を聞くたびに、自堕落な今の自分と、自分の子供の頃との間に恐ろしいほどの距離を実感し、微睡の中で自分を大切にしていない罪のようなものが、頭の後ろで渦巻いて遠心力で頭が重くなるのだった。

 

アパートのあった小道は、入ってすぐに何軒かの一軒家があり、道の中程から行き止まりまではボロアパート屹立する、格差社会の縮図のようなところだった。また、そのアパート群は番地を同じくしており、それらのアパートの土地はどこかの金持ち一人が所有していると思われた。

 

住み始めた当時、ベッドを買ったがマットレスを買う金が無く、偶然捨てられていたセミダブルのマットレスを雨の中引きずって持って帰り、シングルのベッドに無理矢理載せて使っていた。食費をなるべく抑えるために、ひたすらにインスタント麺か、一房100円のバナナを食べ続けていた。一人で酒を飲み、前後不覚になってわけのわからない話を電話で友達に聞かせたりもした。

 

当時、こんな日々が懐かしくなったりするのだろうかと、若者らしい感傷に浸ってみたりもしたが、どうだろう。今の自分にとっては過去は過去でしかなく、なんとも言い難い。郷愁のような思いも湧かないし、訪ねて見る気も起こらない。でも、何人かどうしているのか気になる人はいる。

 

俺の真向かいのボロアパートの元住人で、その頃から世話をしている野良猫の面倒を見ていたおばちゃん。他人にあまり懐かないはずのその猫が、俺には喉を触らせてくれると聞いて驚いていたのを覚えている。会うと猫や近所のことについて話した後、きまってちゃんとした生活をした方がいいよ、と嗜められた。一度引っ越した後に連絡をしたが、猫は亡くなったと聞いた。いつでも遊びにおいでと言ってくれて、自分も撮り溜めていた生前の猫の写真を現像して渡してあげようと思っていたが、連絡先が消えてしまい、実現できずにいる。他にも、恐らく精神を病んでいるタバコ屋のおばさんや、面識はないけど違うボロアパートで謎の友情を育みつるんで出かけてたじじい数人など。みんなどこでどうしているんだろう。

 

朝になると今でも、あの〇〇くーん!いーこーおー!って声を思い出すことがある。俺はその時普通に起きている。あの微睡も渦巻きも、感じることは無くなった。でも今でも安かったり、金がない時はバナナを買ってしまう。

12月

スーパーなどありとあらゆる商業施設でワムのラストクリスマスや、聞き覚えはあるが曲名の全く分からないクリスマスソングが延々と流れ続ける季節になった。街角にはリースやツリーが突如として現れ、百均にすらもクリスマスグッズが溢れている。

もう、こんな季節になったのかと思うと同時に、クリスマスという季語から連想される凍えるような寒さとは程遠い気温に違和感を覚える。今年が暖冬というのは本当らしい。吐く息が白くなるどころか、昼間は妙に暖かく、歩いていると少し汗ばむほどで、それでいて夜はある程度冷え込むために、何を着て外に出ればいいのか全く分からない。秋はあっという間に過ぎ去った気がしたが、冬が中々訪れない、なんだか不気味な感じだ。

 

そんな気候だからか、自分も含めて、身の回りで心身に不調を来す人が多く、やたらとイライラしていたり、落ち込んだりしている姿が目に付く。そうした姿を見るとシコっておちつけよ、俺はいつもそうしてるよ、といいたくなってしまうが自重している。そもそも、悩みやイライラが極限に達するとシコることすらままならなくなるし、年齢を重ねるとシコるのも難しくなると聞く。他者の気持ちを想像しながら考えてみると、自慰一つとっても気を遣うことが多い。俺自身も自律神経がやられているのか、日照時間の不足で、気が塞いでいるのか、ダウナーな気分で一日を過ごしていることが多い。特に、夜、同居人が寝てしまった後などは、昼間の自分の無能さにあきれ果てて、暗澹たる気持ちになることがしょっちゅうある。そうしてオナニーの回数が増えていく。

 

最近、近くに壊れてしまいそうな人がおり、自分の仕事ぶりを自虐しだしたかと思えば上司と喧嘩してみたりしていて(久しぶりにマジギレしている人を見た、またキレても一人称が私のままである点に妙に感心した)、精神の均衡が崩れつつあるように見える。自慰では解決できない案件だ。俺は、その人のことが結構好きだし、急に辞めていなくなったりしたら寂しいと思う。こんな時こそ、そのことを上手く伝えられればと思うが、残念ながら俺にはそんな対人スキルがないため、どうしたらいいものかと思っている。世渡り上手で、普段から人に優しい、器用な奴らならそんなことも、さりげなく行ってしまえるのだろう。最近は人を妬ましいとか思うことも減ったが、こういう時ばかりは、器用な奴らが羨ましくなってしまう。小学校の低学年の時、俺は虫が好きで、転校前は虫に詳しい男として、学校の花壇をいじるときなどは、これがマイマイカブリで~などと蘊蓄を披露し、詳しいねーすごいねーなどと言われていた。しかし、転校先では虫博士の座に君臨する眼鏡少年がおり、静かに、水面下で行われた花壇の周りにいる虫知識対決で俺は知識量で確実に勝っていたのに負けてしまった。それは何故か、誰も転校生のおしゃべりで空気も読めなければ方言も喋れないやつの虫蘊蓄なんて聞いていなかったのだ。途中まで、俺は優勢を確信していた。真の虫マイスターは俺だと、このペースでいけば皆気づくはずだと。しかし、時間がたつにつれ、その自信は絶望へと変わった。誰も俺の話など聞いていないのだ。静かに始まった虫対決は完全に俺の独り相撲に終わった。俺はくやしさのあまり、転校初日から仲良くしてくれた数少ない友達に、俺の方が詳しいのにどうのこうのと文句を垂れたことを覚えている。

 

この一件で、俺は人望の大切さや、普段の振る舞いが大切なことを知った。低学年にして、世渡りの大切さを知ったのである。しかし、その気づきは全く生かされず、俺は今でも社会の中で転校生のような気分で過ごしている。だから、先に書いたような状態にある人にかけるべき言葉がシコるといいですよくらいしかみつからないのだ。社会と俺の間には確実に超硬度のゼラチンの壁があり、突き破ろうとすると押し返してくる。ならばとかじりつき、食い尽くすことで、社会の側へ飛び出そうと試みるも、味付けのされていないゼラチンはまずく、おまけにいくら食べ進めても減る様子が全く感じられない。俺は仕方なしに、巨大なゼラチンを前にして、半泣きでオナニーをするしかなくなる。

 

この季節になると、帰省をしようか迷う。もう何年も帰っていない。大した愛着もない田舎の町。国道沿いの巨大なショッピングセンター、学校も行かずに夜中にうおうろしていた繁華街、気違いに急に殴られた路地、俺のゼラチン生産庫のような、クソみたいな思い出ばかりだが、楽しいことも沢山あった。永遠の友情を信じ、祈った瞬間や友達と話して心地よかったこと、楽しかったこと、どうしようもないメンヘラの俺に優しくしてくれた人たち。それらの事を忘れてしまったことはないし、そこにいた人たちのことにも、変わらぬ愛着を持っているつもりだ。しかし、なんだか、全てが遠くなり褪せていってしまっていくのを感じる。そのことに気づく度に、猛烈に寂しい気持ちになるが、こうして、時間を経るごとに、日々色々な思い出や、土地、人々に対して、お別れしていくのが人生なのかもしれない。借別の気持ちだけは忘れないようにしなくてはいけない。それが、弔いになるだろう。そして、帰省することがあったら、しばらく会ってない人たちにも連絡を取ってみようと思っている。会ってくれるかはわからないが、忘れるのが惜しい思い出をこれからも増やしていけたら、いつか地元の街も好きになるかもしれない。

 

明日も目覚ましをかけて起きる。だるいけど。

 

 

 

 

1日が長い

労働するのが本当に嫌だ。若い頃は貧乏でもなるべく労働したくないために、バイトのシフトを極限まで減らし、文字通りその日暮しをしていたが、年をとり、自分の可能性のようなものが狭まっていくのを感じ、嫌々ながらそれを受け入れた。

朝、始業してしばらくすると残り時間を計算しはじめ、時計を見るたびにうんざりし、終業する時には今月残り何日働けばよいかを数える。小銭しか入っていない財布と共に散歩をし、永遠に川と鳥を眺めていた日々が懐かしい。あの頃はあの頃で、社会と折り合いがつかない自分と将来が不安で仕方なく、一種の地獄にいたと言っても差し支えなかったと思う。過去を美化するつもりはない。しかし、皆が学校や社会で生き抜いている間に、川を見て満足していた人間にとって、世の中でやっていくということは中々困難である。

酒でも飲めばいいのかもしれないが、俺は酒に弱いし、晩酌でもしようものならアル中になることは間違いない。俺の家系がそれを証明している。

恐ろしい事に最近子供を可愛いと思うようになってしまった。以前は自分の遺伝子を遺すなんてことは絶対にやってはいけないと考えていたが、子育てに興味が出てきてしまった。そして、この望みはあまりにも儚く、持つべきものではなかった気がしている。少なくとも今は子供を育てるだけの稼ぎが無く、この先もそれが得られるかどうかわからないからだ。この望みが強くなり、そして、諸々の事情で諦めてしまうときには、大きく失望してしまうだろう。長い1日の終わりに、自分の家族と話す、そんな毎日を過ごすことがとてつもなく甘美なもののように思える。うちは機能不全家族で、母と祖母はヒステリーで父親はおらず、祖父は変人だった。だから、以前は家族というものに全くいいイメージが湧かなかった。だが、俺は母とも祖母とも違う人間だし、案外いい家庭が築けるんじゃないかなんて、思い始めてしまっている。子供の話を聞いてやり、毎日宿題を見て、偉そうにせず、子供相手にもちゃんと謝ったりお礼を言ったりして、仲良く過ごしたい。少なくとも思春期までは。俺の子に生まれてよかったと思ってもらえるような、最高の家庭を築きたい。三十路になった元ヒモのクズの甘美な夢。

その未来のためには労働して、昇給して経済力を身につけねばならないが、それが難しい。昼は働き、夜はそんなことばかりを考えて一日が終わる。

 

仏花

両岸を護岸で囲み、さらにその上に遊歩道を整備した、都会にありがちな運河の水面に黄色い花が散っていた。深緑の水面に鮮やかな緑色の茎が朧げな輪郭と、その先についた花と、それが少し散っている様子は美しかったが、どこか異様でもあった。あの花を投げ入れた人には、どんな意図があったのか、私は知らないし、今後知る事もないだろう。

 

職場に、ゴルフの話ばかりする人がいる。はっきりいって、みんなゴルフの話は飽きていて、それを隠そうともしていないのだが、そのおじさんはゴルフの話をし続ける。おじさんがゴルフの話をし続ける理由は知らない。なんでもいいから人と業務以外の話をする事で仲良くなりたいのかもしれない。そういう、独りよがりなところが災いしてか、職場の女性に嫌われるようになってしまった。おじさんはその事に気づき、悩んだらしい。悩んだ末に、二回り年下の男性の同僚にどうしたらいいのかと助言を仰いでいた。

後日。その若者は、あの歳で二回り年下の男に、悩み相談をして恥ずかしいと思わないのか、俺は絶対にそんなおじさんになりたくないと言っていた。もっともな事だと思う。

俺もそんなおじさんにはなりたくない。ただ、爽やかで人当たりがよくて、誰からも頼りにされたりするようなおじさんにはなれないだろう。

俺も中年を拗らせて、一方的に自分の話ばかりするようになったり、それを若者に相談したりするようになるのだろうか。

憂鬱だ。

仏花

両岸を護岸で囲み、さらにその上に遊歩道を整備した、都会にありがちな運河の水面に黄色い花が散っていた。深緑の水面に鮮やかな緑色の茎が朧げな輪郭と、その先についた花と、それが少し散っている様子は美しかったが、どこか異様でもあった。あの花を投げ入れた人には、どんな意図があったのか、私は知らないし、今後知る事もないだろう。

 

職場に、ゴルフの話ばかりする人がいる。はっきりいって、みんなゴルフの話は飽きていて、それを隠そうともしていないのだが、そのおじさんはゴルフの話をし続ける。おじさんがゴルフの話をし続ける理由は知らない。なんでもいいから人と業務以外の話をする事で仲良くなりたいのかもしれない。そういう、独りよがりなところが災いしてか、職場の女性に嫌われるようになってしまった。おじさんはその事に気づき、悩んだらしい。悩んだ末に、二回り年下の男性の同僚にどうしたらいいのかと助言を仰いでいた。

後日。その若者は、あの歳で二回り年下の男に、悩み相談をして恥ずかしいと思わないのか、俺は絶対にそんなおじさんになりたくないと言っていた。もっともな事だと思う。

俺もそんなおじさんにはなりたくない。ただ、爽やかで人当たりがよくて、誰からも頼りにされたりするようなおじさんにはなれないだろう。

俺も中年を拗らせて、一方的に自分の話ばかりするようになったり、それを若者に相談したりするようになるのだろうか。

憂鬱だ。

久しぶりに思いっきり人の悪口を聞いた。その対象となっていたのは、昔仲の良かった友達だった。

段々と話が合わなくなり、イライラすることが増え、今では絶縁状態となってしまったその友人だが、あからさまに貶されていると、庇うほどではないにしろ少しもやもやとしてしまう自分に驚いた。

 

生きている時間に比例して、沢山の人たちが現れては去っていく。中にはやたらと印象に残ったり、もう一度話したいと思う相手もいたし、長く付き合える友達になることもある。だが、その友達ですらずっと仲良くしていけるかはわからない。通り過ぎていった人たちが、どうしているのかと考えるが、急に連絡するのは唐突に思えて、躊躇ってしまう。気になるやつばかりが増えていく。そうした事に思いを馳せる時、何か大事な事をとりこぼして生きているような気がして、落ち着かなくなる。

 

季節が秋を通り越して冬になり、12月も目の前に迫った頃になって、公園の木が半分ほど赤く染まっている事に気がついた。今年は金木犀の香りをあまり嗅がなかったきがする。

老婆が孫の手を引きながら歩き、爺がコンビニの前で酎ハイのロング缶を片手に顔を赤らめていた。