お前が食べていいのはゲロのオムレツだけ、身の丈にあった生活の素晴らしさ

 ブログを読み返して嫌になった。このクソみたいに気持ち悪くて、ゲロと下痢をミキサーにかけた後に荒川のヘドロを打ち込んだような、最低で低レベルで下劣で品性が欠けていて汚くて自己憐憫に満ちている現代病のような文章を書く奴を私は好ましく思わない。死のう。


 コミュ障の先生は、私に対して金言めいた事を述べていた。その様は、私のために私を心配して、喋ることは得意でないのに必死で言葉を紡いでいる感じだった。


 とてもありがたい事だと思った、誰かが自分のために、何かをしてくれる。ありがたいよね。目は合わせてくれないけどコミュ障だから仕方ないし、コミュ障がここまでやってくれるのって凄いことだもの。


 だけれど、私は先生の話よりも尻がかゆいことの方が気になっていて申し訳なかった。申し訳なさが爆発して、結局は先生の話を遮って私のクソみたいな人生を、自慰行為のエピソードを交えて話しまくってその場を有耶無耶にしてしまった。なんて不器用なんだろう。


 頭の皺と皺、合わせてツルツルきょーむー。日に日に下がっていってしまう私のIQ、日々日々忘れていってしまう素敵な思い出。脳のどこかに何かの塵が積もっているとしか思えないlately。レイコップじゃキレイキレイできやしない、ダイソンじゃなきゃダメ、絶対。全部リセットしたい。


 歳をとるにつれて、センチメンタルさは薄れていって、それに反比例して気持ちは安定していった。楽だけれど、それがいいことなのかはわからない。なんだか、大事な物を失くしてしまったような気がする。どこに置いてきたのか。


 辛い経験や失敗を糧にうんぬんかんぬんってよく聞くけれど、そんなものは幻想だと思う。よくうんこを踏む奴はうんこを踏み続けるし、繰り返さないにしても役には立たない。お守り程の役にも立たない、馬鹿を慰めて、馬鹿を奮い立たせる最低な言葉だと思う。仮に喋れる枯れ木があなたの庭にあったとして、その枯れ木が毎日〈去年の春は失敗しちゃったけど、それを糧に今年は咲いて見せるぞー〉なんて言ってたら悲しくなるだろう。あ、この例え糞だわ、死にたい。本当に死にたいサーチライトで照らされたい。マツケンサンバを爆音でかけながらハマーに乗って首都高爆走したいそれに付き合ってくれる友達が欲しい。お!れ!なんか、発芽してすぐに枯葉剤撒かれたけど何故だか発育不全のままに成長出来てしてしまって、それゆえに問題の多い名もない木って感じの我が人生。最初から間違ってた。糞リプばっか!奥歯の細菌よりも矮小でみみっちくて貧乏臭い私。ホワイトニングして……。