1日が長い

労働するのが本当に嫌だ。若い頃は貧乏でもなるべく労働したくないために、バイトのシフトを極限まで減らし、文字通りその日暮しをしていたが、年をとり、自分の可能性のようなものが狭まっていくのを感じ、嫌々ながらそれを受け入れた。

朝、始業してしばらくすると残り時間を計算しはじめ、時計を見るたびにうんざりし、終業する時には今月残り何日働けばよいかを数える。小銭しか入っていない財布と共に散歩をし、永遠に川と鳥を眺めていた日々が懐かしい。あの頃はあの頃で、社会と折り合いがつかない自分と将来が不安で仕方なく、一種の地獄にいたと言っても差し支えなかったと思う。過去を美化するつもりはない。しかし、皆が学校や社会で生き抜いている間に、川を見て満足していた人間にとって、世の中でやっていくということは中々困難である。

酒でも飲めばいいのかもしれないが、俺は酒に弱いし、晩酌でもしようものならアル中になることは間違いない。俺の家系がそれを証明している。

恐ろしい事に最近子供を可愛いと思うようになってしまった。以前は自分の遺伝子を遺すなんてことは絶対にやってはいけないと考えていたが、子育てに興味が出てきてしまった。そして、この望みはあまりにも儚く、持つべきものではなかった気がしている。少なくとも今は子供を育てるだけの稼ぎが無く、この先もそれが得られるかどうかわからないからだ。この望みが強くなり、そして、諸々の事情で諦めてしまうときには、大きく失望してしまうだろう。長い1日の終わりに、自分の家族と話す、そんな毎日を過ごすことがとてつもなく甘美なもののように思える。うちは機能不全家族で、母と祖母はヒステリーで父親はおらず、祖父は変人だった。だから、以前は家族というものに全くいいイメージが湧かなかった。だが、俺は母とも祖母とも違う人間だし、案外いい家庭が築けるんじゃないかなんて、思い始めてしまっている。子供の話を聞いてやり、毎日宿題を見て、偉そうにせず、子供相手にもちゃんと謝ったりお礼を言ったりして、仲良く過ごしたい。少なくとも思春期までは。俺の子に生まれてよかったと思ってもらえるような、最高の家庭を築きたい。三十路になった元ヒモのクズの甘美な夢。

その未来のためには労働して、昇給して経済力を身につけねばならないが、それが難しい。昼は働き、夜はそんなことばかりを考えて一日が終わる。