大きな壁

いつの頃からか、友人以外の人間と話しをする際は、あぁ、とかへぇとか曖昧な返事をすることが多くなった。以前は、好き勝手喋りまくり、相手がドン引きしているさまを見て楽しんでいたが、その分、真面目そうな人になんの危害も加えてないのに敵意を持たれたりしてうんざりしてしまった。こういった変化が、適応、分別、大人になるという風に表現される類のものであるとしたら、世の中はなんてつまらないものなのだろうと思う。

 

日々、当たり障りのない話をし、こちらからすれば真人間に見えない人物にも、どろどろとした部分や狂った一面があるのだろう。一度、本音なんてものは聞きたくないが、そういった部分を見てみたいと思うことが多々ある。だが、それは殆どの場合叶わないだろう。

 

俺は、俺の考えていることはわかるが、自分自身のことすら理解しているとは言えないだろう。そのくせ、人の心のうちを見てみたいと思うのは卑しいことかもしれない。俺は、自分の魂が呪われているのではないかと感じることが多々あるが、人の魂は等しく呪われているのだろうか。みなは自分自身についてどういう印象をもっているのだろう。

 

あぁ、とかへぇとか無難な答えを返すとき、自分がつまらない人間になったような気がすることがある。実際そうなのだろう。そして、四方を壁に囲まれたような錯覚に陥るのだ。自らが作った他者との壁、社会との壁、過去の自分との壁などがたちはだかる。これらは自分の世界にしか存在しないものだ。それだけに、どうにも悩ましく、乗り越え難い。

まぁ、色々やったけど、結局俺は何気ないやりとりを当たり前に出来る人間にはなれなかった。なりたくもないし。糞のプディングみたいな生活も糞を糞とも思わなければ平気だろう。卵と砂糖と牛乳を摂取したあとのうんこならプリンと変わらない。うんこの形がバナナっぽいならプリンアラモードっぽいし。ただ、残念なのは俺にスカトロ趣味がなかったことだ。悲しい色やね。