線路沿いの家

夜に何もせずぼーっもしていたら、がたんがたんという音が聞こえ、何の音か不審に思ったが、直ぐに電車の通る音だと気づいた。俺の住むアパートは線路沿いにあり、電車などはしょっちゅう通っているはずだが、よっぽど気の抜けている時にしか、その音は意識の上に現れることはない。

 

思い返せば、地元を出て最初に住んだ、外装だけは立派な壁の薄い安アパートも線路沿いに在り、電車の通る度に少し揺れて、住み始めてしばらくは落ち着かなかったのを覚えている。当時の俺はめちゃくちゃ貧乏だったが、他の住人も大差ない生活をしているように見受けられた。ゴミをきちんと分別して出す文化が浸透していなかったのか、収集されなかったゴミが常にゴミ捨て場に溜まっており、出かけるたびにれを見て憂鬱になっていた。

 

当時の俺は昼夜の区別のないような生活をしていて、朝、アパートの向かい側にある、一軒家に住んでいる子供を友達が迎えに来る声を聞いてから眠りにつくのが習慣のようになっていた時期があった。もう何年前だろうか。その子供も今は立派な青年になっているだろう。彼らの声を聞くたびに、自堕落な今の自分と、自分の子供の頃との間に恐ろしいほどの距離を実感し、微睡の中で自分を大切にしていない罪のようなものが、頭の後ろで渦巻いて遠心力で頭が重くなるのだった。

 

アパートのあった小道は、入ってすぐに何軒かの一軒家があり、道の中程から行き止まりまではボロアパート屹立する、格差社会の縮図のようなところだった。また、そのアパート群は番地を同じくしており、それらのアパートの土地はどこかの金持ち一人が所有していると思われた。

 

住み始めた当時、ベッドを買ったがマットレスを買う金が無く、偶然捨てられていたセミダブルのマットレスを雨の中引きずって持って帰り、シングルのベッドに無理矢理載せて使っていた。食費をなるべく抑えるために、ひたすらにインスタント麺か、一房100円のバナナを食べ続けていた。一人で酒を飲み、前後不覚になってわけのわからない話を電話で友達に聞かせたりもした。

 

当時、こんな日々が懐かしくなったりするのだろうかと、若者らしい感傷に浸ってみたりもしたが、どうだろう。今の自分にとっては過去は過去でしかなく、なんとも言い難い。郷愁のような思いも湧かないし、訪ねて見る気も起こらない。でも、何人かどうしているのか気になる人はいる。

 

俺の真向かいのボロアパートの元住人で、その頃から世話をしている野良猫の面倒を見ていたおばちゃん。他人にあまり懐かないはずのその猫が、俺には喉を触らせてくれると聞いて驚いていたのを覚えている。会うと猫や近所のことについて話した後、きまってちゃんとした生活をした方がいいよ、と嗜められた。一度引っ越した後に連絡をしたが、猫は亡くなったと聞いた。いつでも遊びにおいでと言ってくれて、自分も撮り溜めていた生前の猫の写真を現像して渡してあげようと思っていたが、連絡先が消えてしまい、実現できずにいる。他にも、恐らく精神を病んでいるタバコ屋のおばさんや、面識はないけど違うボロアパートで謎の友情を育みつるんで出かけてたじじい数人など。みんなどこでどうしているんだろう。

 

朝になると今でも、あの〇〇くーん!いーこーおー!って声を思い出すことがある。俺はその時普通に起きている。あの微睡も渦巻きも、感じることは無くなった。でも今でも安かったり、金がない時はバナナを買ってしまう。