海があり山があり金欠で怠惰な日々

 仕事を辞めますと宣言して、見事当日付けで辞めることが許された時の清々しさは独特でクセになる。だが、意気揚揚と帰路について五分もすると財布の中身が悲しいくらいにしみったれていることや、当たり前だが貯金なんてものは一切ないことを思い出して顔の筋肉が強張ってくる。おまけに求人を探して履歴書を書いて、面接を受けるというクソみたいなイベントが待ち受けているなんて耐えられないような気がしてくる。しかも、最後に当日辞職をキメた時よりも俺は確実に歳をとっていて、相変わらず貯金もなく、履歴書は無残な感じだし口を開くと本当にくだらないことばかり話していて、少し危機感を感じてしまうが、もっと救いようがないのは、今の俺は以前よりもかなり楽観的で、例えばクレジットカードの支払を催促するはがきが何通こようとも、殆ど焦ることもないし(無事解約された)、また、日々根拠もないのになんとかなるような気持ちで生きているので、職を失ってもなお適当に毎日を過してしまうのが目に見えていることだ。だから、ラストオブ退勤鬱もすぐにどこかにとんでいってしまう。

 先に手を打たなければ、自分をブチ抜くしかねぇ、と思って優雅な貧乏暮らしを極める前に、面接を受けてきたが、なるようになれやと思ってあまりにも正直に受け答えをした結果、話は盛り上がったが予想通り不採用であった。いつもならシコって寝るところだったが、それは沈没への第一歩な予感がしたのでやめておいた。どうか楽な仕事が見つかりますように。そして、貯金のない者どものために日本のありとあらゆる職場が週払いになりますように。

クソの腸詰爆弾

 最近になって気づいたことがある。それは、用もないのにいきなり話しかけてくる全く知らん人間は大体面倒で、一言二言話した時点で仲良くなれそうにないなと感じることだ。そういう奴らは大体気さくなオーラをみにまとっていてタメ口で、その会話のとっかかりはこちらには強引に感じられるのだが何故か「また~しよう」などと言ってくる。ばったり会った友達ならむしろ嬉しいけど、俺はお前と違っていらんしがらみを増やしたくないし、人間がそんなに好きじゃないからほっといてくれって感じだ。愛らしい老人や綺麗な女、疎遠になっていた友達、やる気のない貧乏人に施しをしたくてたまらない気の狂った金持ちや猫あたりならいつでも歓迎なのだが、そういう機会はあまりないし、よくても老人か野良猫止まりだ。そしていつも立ち止まってしまう。みんなもっと俺の愛らしさ、ちょっと変わったユーモア、グランジを地でいく汚いファッション、ワイルドな無精ひげ、不器用で守ってあげたくなる感じ等々の魅力に気づくべきなんじゃないか?貢ぐかせめて楽な仕事を回してくれ。痴女って本当に存在するのか?どこに?

 昔、近所で釣りをしていた爺さんはハチャメチャに最高だった。話しかけたらそこそこ話してくれるが、余計な挨拶はしないし、話を長引かせたり、詮索してくることもない、勿論「今度~」なんて言わない。聞いてくるとといったら、今日は釣りをしないのか、最近よくいるねの二点のみで、何を釣るのか、仕掛けはなんなのかと聞いてもそういうことは人に話さないと決めているとしか言わないところが特に最高だった。うざがられていたのかもしれないが、俺は大好きだった。眠れない日はそういう最高で関わりの薄い人たちのことを考える。人類全員が優しい偏屈者になったらいいのにな。

平和な日

気の許せる相手と電車で出かけて、田舎の駅で降りて

ショボくれた爺と、食い意地の張った野良猫しかいない港で

ありとあらゆる連絡をシカトして

そんなに話をするでもなく


夜になったら街へ出て、安い定食を食べて

家に帰り、少しくだらない話をして

片割れが寝たら、なんとなく眠りたくなくてコーヒーを淹れ

ソファに横になり微睡む

今日みたいな日は、奇跡的に素直になれる

こんな日を永遠に繰り返していけたらと思う

気づいたら朝になってしまう

生まれついて生活習慣を乱す才能に恵まれ過ぎたために、生活や心身のちょっとした乱れによって直ぐに睡眠や食事が乱れていく。

寝付けない夜に現れる蚊と自分しかこの世に存在しないのではないかと錯覚しそうになる、田舎特有の夜が、突き放すでも寄り添うでもなく部屋の中に充満していく。それは、雰囲気というにははっきりしていて、かといって個体でないことは明白で、曖昧なものであるが、自分にとっては懐かしい存在であることだけは確かだ。

まともに生きようと試みて、失敗する度に現れて、再びその試みを始めると消える。

どうしようもなく孤独で、みじめだった頃からの友達といってもいいかもしれないが、あまり愉快な存在ではない。

人生で一番どうしようもなかった頃の友達とはすっかり疎遠になってしまった。ひどいものは自殺し、生きている人達も伝聞で聞く限りではあまり上手く生きてはいなさそうだ。アスファルトで寝転んでみたり、深夜にうろうろしながら、幹線道路を走るセダンに無意味に悪態を付いてみたり、色々な話もしたような気がするが、今はもう会っていない。結局、一番長く付き合い続けている友達はこのクソ忌々しくてしみったれた夜だけで、俺がいくら離れようとしても付いてくるし、向こうから愛想を尽かすこともない。最悪な恋人みたいに俺から心地よく何かを奪っていく。

全速力で崖に向かって走っていくような勢いはもうないが、少しずつ間違っていって気づいたら枯れ果ててドロドロになったシキビみたいになりそうな。


どこに行ってもうんざりしている

昔書いた記事を読み返してみたんだけど、あんまりにもクソ過ぎて笑いすら漏れなかった。

今年から新しい環境に身を置いているのだが、全く自分に合っていなくてうんざりしている。これまでは、クソだクソだと思ってもなんとかやっていける程度のクソさ加減だったのだが、最近は俺の耐えられるクソ度の上限を大きく超えている。姿勢は曲がり、頭痛は酷く、飲んでもいないのに毎日二日酔いのような状態で、心象世界は段々と茶色になってきており、今俺がいるところは間違いなく浄化槽であることにさっき気づいた。早く吸い出してくれ。

ジーマネーをゲットして、どこかに引きこもって、気が向いた時に街に降りて気の合う友人と語りあうような生活がしたい。ファミレスや公園、喫茶店に居座って、周りの席にいるクソ市民が呆れるようなゴミみたいな 話を何時間も。

仲の良い友達は大体なにかしらの生きづらさを抱えていて、いい奴らなのになんとなく上手く生きられていない。上手く周りに馴染んだり、必死に生きているのに道を踏み外してしまう人たち。俺はそんな彼らの事が大好きで、人類全員に幸せになって欲しいとは思わないが、彼らには本当に幸せになって欲しいと思う。

いい人達は嫌いじゃないし、そういう人達と上手くやってけたり、心が開けたらどんなに楽だろうと思う。だけど、俺はどうしようもなくクズが好きだ。かくいう俺も紛れもなくクズで、いい人や普通の人しかいない所に放り込まれると同じ国に生まれて同じ言語を話しているのに、ラテン語しか話さない道教の高僧の群れに放り込まれたような気分になって、その状態が続くと死にそうになる。

今の俺が病院に行ったら、何かしらの診断が下って、クソみたいな薬が三割負担で処方されるだろうけど、そんはものは欲していない。俺に必要なのは環境を変えることや対処法を見つけること、そしてクズ同士のシンパシーが生むあの落ち着く空気感を味わうこととどうしようもない笑い話、そして金だ。自分がこんなにも友達が好きだとは思わなかった。

もちろん、何かの方略を見つけるような気力は持ち合わせていない。今日も俺は寝る。不規則に。

啓蒙的な人間は嫌い

  意識の高い人間に、啓蒙的でありがたい話を得々と聞かされた後で、聞いてもないのに「君の性格のこういうところが駄目」というような、とっても含蓄のある人格攻撃をかまされてうんざりした気分が続いてる。さっき人格攻撃は駄目って言ってたのによくやるよな。その時にもなんだかイラついてはいたけど、頭の理解が追いつかなくて反論が間に合わなかったのが本当に悔やまれる。


  啓蒙的で、努力家で、意識の高い人間が社会に適応できているとは限らないし、人間性がそうした要素に追いついているとは限らない。むしろ逆だと思う。


  こういうことに出くわす度に、目をキラキラさせて人生を素晴らしくする方法を語る奴だとか、おせっかいで的外れなアドバイスを聞かせて来る奴だとかが信用出来なくなる。そんなのは人類史上でカーネギーデカルト位で間に合っているのに、あいつらは自分の口から出る言葉と、それによって引き起こされると信じて止まない前向きな作用、そして脳内で分泌されるなにかに酔いつぶれていて、そんなことも理解できないでいる。カーネギーも人にアドバイスすんなって言ってたよな。


  少なくとも俺にはそんな言葉も思想もアドバイスもいらない。そんなことを聞かされても相手の事が嫌いになって、反啓蒙的な思想が強まるだけだ。


  大川隆法ドラえもん池田太作、先生、大学教授、真面目な学生、親、近所のおせっかいおばさん、早めに事が済んでしまったあとの風俗嬢、中卒の友達、ジャンキー、精神を病んで自殺した知人、俺の生き方とこだわりと強情さ、流れていくうんこ、隣の家から聞こえて来るお経、コンビニのトイレの汚物いれが開いていて変態の残り香を感じた夜、今もどこかで話されている下衆な会話、梅毒で変形した顔、方法序説、道は開ける、ネイチャー、ナショジオ……

  それらを内包する地球を包み込む宇宙、そしてそれを巨大なTOTO製の便所につっこもうとしている神。

  鳴り響く終末の音と、それでも止まらない便意、とりあえずセックスの相手を探し始める童貞たちとそいつらをぶち殺そうとするあらゆる狂信者たち。カルト教の奴らが集団自殺しても報じられもせず、みんな等しく重い梅毒にかかって上の顔も下の顔も著しく変形してしまいみんな不細工になって容姿の共産主義革命が起こる、世界破滅するもやむなしと思い、絶望し、後悔して助かりたくて色々な事を思い出そうとする、なんでもいいから励ましてくれと強く願う。そんな時に意識の高い言葉を思い出してもイラつくだけだし、そんなこと直接言って来る奴がいたら間違いなくぶっ殺す。

はっきりしているのは台所が汚れていることだけ

 何もかも思い込みなんじゃないかと思う。俺を思い悩ませるあれもそれも楽しかったこともないもかも全部。実際には少しのやり取りと、ねじ曲がってゆく認知と俺の性格とがあるだけで、ただ出来事があって、それだけなんじゃないかと思う。まぁ当たり前だといえばそうなんだけど。

 俺の、俺のしみったれた太った引きこもりの不細工な犬かなにかがひねりだした糞のような人格が糞の生産工場になっているんじゃないかと思うのだ。

 糞な世界、糞な人間、糞な建物、糞な床、糞な天井、糞な家電、糞な家、俺はありとあらゆるものが糞に思えて仕方がないが、世の中の人はそのようにして物を見てないようだし、多分俺が糞なんだと思う。


 糞パーソナリティで、自らの糞心象世界に糞を塗りたくり続ける糞が俺。俺がうんこでうんこが俺で。水洗トイレによって死んでしまった糞と時間を超えて入れ替わって糞の名を聞きたい、いや聞きたくない。そういうのは変態同士で勝手にやっていて欲しい。


 今日も寝つきが悪いし腰が痛いしそれでも朝はやってきて家を出なければいけなくなる。


 物心ついたときから、なんとはなしに生きづらさのようなものを感じてきたけれど、その感覚とは死ぬまでずっと付き合っていかなきゃいけないことはわかっている。だけれど、諦めはついているが、折り合いはまだついていない。