欠けた貝殻たち

 

 久しぶりに駄文を書きなぐりたくなって、ブログを開き過去に自分が書いた記事を見て爆笑してしまった。俺は絶対こんな奴と友達になりたくないなって感じで。まぁ、ブログなんて糞みたいな気分の時にしか書いてないから、当然内容もしみったれた糞まみれなものになって当然だし、いわばここは俺の糞をため込むくみ取り式便所の浄化槽からはみ出た糞みたいなもので、ちゃんとバキュームカーが来ている時には敢えて掃除する気にもならない。

 ネットにはいくらでもデータをため込めるんじゃないかと思いがちだが、ここ数年で色々なサービスが終了して、それに伴ないオールドスクール統合失調症患者達の目がちかちかする個人サイト達も消えていったことだろう。彼らの熱量はいったいどこから来る(来た)のだろう。俺には赤字で強調したいこともなければ、陰謀めいたものを誰かに伝えなければという正義感もない。人の思いの強さが創造物の価値を高めるのだとしたら、彼らほど切実に文章を書いている人々はいないのではないか。インターネットに沢山ある、本当に下らなくて、思いもこもっていなくて、誰も気に留めないようなもの達に割かれている容量をあいつらの創作物に回してやりたいな。このブログとか。

 

 この前、辛そうだからと言って呼び出された。どこで、とかどこに、とかそういう名詞はこれからもこれまでもここに書くつもりはない。割かし親身になって話を聞いてくれたけど、言葉のチョイスや俺の発言に対する解釈、派生した世間話の内容、全てが食い違ってる感じがして、この人のことを好きになることは一生ないだろうなと思った。親切なのは確かだけどなんか本当にどうしようもなく下らない時間だった。こういう時に感極まって泣いたり、素直に感謝できたりしたら色々違ったんだろうな。こういう機会は子供の頃から何度かあったけど、理解されたと思ったことは一度もない。いつも、どういうことだ?という顔をされてしまう、そしてこういうことか?と聞かれるのだが、大体的外れで、孤独感が増すばかりだった。まさか大人になってもこういうことがあるなんてな。笑える。

 

 時折考える、俺みたいな奴らは世の中にいっぱいいるんだと思うけど、そいつらはどうやって生き抜いてるんだ?みんなしんでしまったのか?とか。全人口の二厘くらいしか好きになれる奴がいない気がするとか。下らないよな、どこまでいってもガキなんだよな。

 まだしばらく煙草を止められそうにない。