眠りたくない夜

特にすることもないのに夜更かしがしたくなって、カフェインが大量に含まれているのがうりの缶コーヒーを飲んだ。

 

まだまだ暖かいと思っていたけれど、今は11月で、部屋が段々と冷え込んでくる。

外からは、車の音と、時折酔っ払っているのか、若者の騒ぎ声が聞こえる。

俺にもそんな頃が、そんな時があったはずだが、最早その記憶からは実感が薄れてしまって、本当にぎゃーとかわーとか言っていたのか、という疑念すら感じる。

 

近頃、友達と会うと仕事や結婚の話ばかりである。自然と仲良くなって、色んなことを話して、ゆっくりお互いに歳をとっていった結果、こうなってしまった。若い時と変わらないつもりで話していても、話題だけは変わっていっており、そのことに気づくとハッとしてしまう。

 

みんな、読んでいる読んでいないに関わらず最強伝説黒沢みたいになんないように頑張ってる。ちっちゃい黒沢なんて悲惨だし。居場所のない中年にならないために、残された若い時間で仕事や婚活を頑張る事に精を出している。

 

そんか中で俺だけが適当に生きていて、明らかに取り残されてるように感じるが、黒沢みたいになるのかな。

 

結婚は錯覚の結果するもので、結婚生活はごみためだと思っていた。最高の浄化槽、ピカピカで、悪臭を一切出さずうんこもすぐに肥料にしてくれる、それが理想の結婚だろう。でも実際はうんこはたまるし、肥料にはならず、汲み取りを頼まなければいけない、糞まみれ生活が結婚だと思っていた。

 

でも、最近は違うかもしれないと感じる。恋人といる時の俺は満ち足りていて、偏屈じゃなく、言いたいことをやんわりと伝えることさえできる。そんな相手がこの世に存在するとは思えなかった。俺たちのピカピカの浄化槽は空っぽだし、たまにうんこが出てもすぐ肥料になる。質量はないが、家庭菜園にも使えるかもしれない。俺たちの浄化槽もダメになる時が来るのか。だったらとても嫌だな。俺はこの日常が永遠に続いて欲しいと思う。

 

最近、体毛が濃くなり、目が疲れやすくなり、眠りが浅くなり、徹夜が厳しくなり、少しずつ老いていくの感じる。

こうして、少しずつ老いていった先に、ちょっとの移動でシルバーパスを使いバスに乗るじじい、手押し車でよちよち歩く婆さんがあるのだろう。

 

その頃にはどんな話をしているだろうか。

イキる

イキった奴が世の中に溢れていて本当に辛い。男は俺の方が悪い過去がある、俺の方が面白い話が出来るとアピールしがちだし、女はとにかく意見を言いたがる気がする。こういう男女論もいつの間にか時代に合わなくなってしまったし、なんなら逆もしかりだしハイブリッドみたいな奴も男女問わず沢山おり、イキりの分布は訳わかんないことになってる。誰か分析して欲しい。

 

そんな中で一番困るのが、年上、特におっさんのイキりで、見窄らしい風体で昔悪かったとか、昔格闘技を齧っていたとか言い出すから最悪だ。イキりたい、威圧したい気持ちや言動と、今ここの姿が全く合致していないから可笑しみすら感じるけど、本人の自己イメージはどうなっているんだろうか。しかも質問してきておいて、こちらが何かを言うと、自分で勝手に結論を出すし、答え決まってんじゃんってなって、会話が成り立っていないと感じることが多い。

 

俺もいい歳だけど、こういうふうにはなりたくないな。イキるのなんて心の中だけでよくね?それとも心の芯がブレた時に他人にイキるようになるんかな。俺はクソしてる時も、シコってる時も、怯えてる時も100%俺だけど、お前は違うのか?

あるがままを受け入れるしかねぇ。

 

欠けた貝殻たち

 

 久しぶりに駄文を書きなぐりたくなって、ブログを開き過去に自分が書いた記事を見て爆笑してしまった。俺は絶対こんな奴と友達になりたくないなって感じで。まぁ、ブログなんて糞みたいな気分の時にしか書いてないから、当然内容もしみったれた糞まみれなものになって当然だし、いわばここは俺の糞をため込むくみ取り式便所の浄化槽からはみ出た糞みたいなもので、ちゃんとバキュームカーが来ている時には敢えて掃除する気にもならない。

 ネットにはいくらでもデータをため込めるんじゃないかと思いがちだが、ここ数年で色々なサービスが終了して、それに伴ないオールドスクール統合失調症患者達の目がちかちかする個人サイト達も消えていったことだろう。彼らの熱量はいったいどこから来る(来た)のだろう。俺には赤字で強調したいこともなければ、陰謀めいたものを誰かに伝えなければという正義感もない。人の思いの強さが創造物の価値を高めるのだとしたら、彼らほど切実に文章を書いている人々はいないのではないか。インターネットに沢山ある、本当に下らなくて、思いもこもっていなくて、誰も気に留めないようなもの達に割かれている容量をあいつらの創作物に回してやりたいな。このブログとか。

 

 この前、辛そうだからと言って呼び出された。どこで、とかどこに、とかそういう名詞はこれからもこれまでもここに書くつもりはない。割かし親身になって話を聞いてくれたけど、言葉のチョイスや俺の発言に対する解釈、派生した世間話の内容、全てが食い違ってる感じがして、この人のことを好きになることは一生ないだろうなと思った。親切なのは確かだけどなんか本当にどうしようもなく下らない時間だった。こういう時に感極まって泣いたり、素直に感謝できたりしたら色々違ったんだろうな。こういう機会は子供の頃から何度かあったけど、理解されたと思ったことは一度もない。いつも、どういうことだ?という顔をされてしまう、そしてこういうことか?と聞かれるのだが、大体的外れで、孤独感が増すばかりだった。まさか大人になってもこういうことがあるなんてな。笑える。

 

 時折考える、俺みたいな奴らは世の中にいっぱいいるんだと思うけど、そいつらはどうやって生き抜いてるんだ?みんなしんでしまったのか?とか。全人口の二厘くらいしか好きになれる奴がいない気がするとか。下らないよな、どこまでいってもガキなんだよな。

 まだしばらく煙草を止められそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

うんこを踏まないように頑張ってる

  労働というものには本当に嫌気がさす。クソみたいなことをベラベラ話しながらやれるならまだなんとかなるけど、そんな仕事どこにあるんだ?そもそもクソの波長(波長がクソでもなんでもいい)が合う奴らと一緒に働きたいのか?頭の中は完全に腐り切って、湿っぽく、風呂でぽっくり死ぬことばかり願っているし、人と話すとぐったりするからなるべく黙っているべきだということはよくわかっている。なのに、俺はどうしようもなくお喋りで、迫り来る希死念慮や豊かすぎる想像力から生じるドドメ色の思考から逃れるためにも、最近は喋り続けなくてはいけないような気さえしている。

  

  猛烈な眠気と、この仕事にはまったく向いていないという確かな確信、社会生活をリタイアしたいという願望やらと戦いながらなんとか労働を終えて、知人と会った。気分転換になるかと思ったのだが完全にやられた。その場その場はそれなりに楽しかったし、知人に愛着さえ感じたけど帰った後の虚無感が半端じゃなかった。今の俺は鳥葬にふされた死体と同じだ。とりあえず、今が夜だからなんとか鳥に啄ばまれずに済んでいるが、明日の朝、鳥に食われる前になんとか縄を解いて磔にされた木から降り、家に戻ることが出来るかはわからない。

  とりあえず縄を解く活力を別次元の自分に与えるためには何をすればいいか考え、オナニーをしてみたが事態は改善されなかった。右手で解決出来ない問題は手に余るので寝ることにした。

毎夜毎夜がとてつもなく長い

 子供の頃から寝つきが尋常ではないくらいに悪く、子供の頃は学校の始まる時間が異常に早いから最悪だったし焦ることもよくあったけど、大人になってからはもう基本的に寝ることを放棄してだらだら過ごすことが多い。だから仕事を探すときにはとにかく始業時間の遅い職場を選ぶようにしている。しかし、それでも朝早くに起きて出かけなければならない用事が入ることがあり、そういった時は苦しくてたまらない。そんな夜には、この不格好でしみったれた頭の中に格納された惨めでどうしようもない魂が狂ったスピードで削られていく音が聞こえてくる。生きているだけで少しずつすり減っているというのに。

 

 今晩はなんだか不安でどうしようもなく、とうとう本格的に荒川の汚水より汚ねぇ液体に漬けられた脳みそが狂ってしまって、いよいよ本格的に精神を病んだのかと思った。謎の不安感と自分の状態への不安という二乗のくそ不安の中で、なんとなく有り余る自意識を持て余した少女が咳をするときのやり方で胸を抑えてみて気づいた。心拍数が高いから不安になってるだけなんじゃないかと。長年のニコチンとカフェインの摂取や思春期の頃から続く不規則な生活、なんだか不遜な態度の奴らとの微笑ましい会話によるストレスなどで体が狂ってきているのかもしれない。実際にはこの症状は心因性のものかもしれないが、上のように考えると気持ちも幾分か落ち着いてきた。今度ばかりは自分が単純な人間でよかったと思った。

 

 最近、もう少し友達が多かったらもう少し色々と違ったのかなと思うことが多い。親友と呼べる人は何人かいるけど、気楽に遊びにいったりするだけみたいな友人は殆どいない。遊びに行くときは大体サシでだらだら話すような感じで、それは勿論最高に楽しいんだけどグループらしいグループに所属していないから多人数でやるような遊びはしづらいし、そもそもの数が少ないのでなんとなく誰かと会いたいような時の選択肢があまりない。まぁ、グループに所属したらうんざりするのが目に見えているし、気楽な友達ができたとしてもなんとなくめんどくさくなるのはわかってるからないものねだりには違いない。結局、うまく生きられる奴との差っていうのはこういう部分なんだよな。

腹が減った。

 

さようなら、やる気。最初からいなかった。

 相変わらずクソ暑い毎日だけど段々と日が落ちるのが早くなってきた。夜に自転車で土手を通って帰宅していると無灯火の狂った男子高校生の集団が右側通行で毎日のように突っ込んできて死にそうになる。スマホシャカシャカ鳴らして音楽流してないでライト点けてくれ。スマホのでいいから。まぁ、自分が高校生くらいのときは世の中が今程交通マナーに五月蝿くなかったし、自分自身もクソみたいなチャリの運転しまくってたから人のこと言えんのだけども。みんなイヤホンつけてたし。呪詛の言葉を吐きそうになることに変わりはないけど。こういう風に若い人間に厳しくなっていって身も心も老いていくのだろうかと思うとうんざりする。段々とさきに書いたような高校生達に共通する外見的特徴みたいなものを探すようになりそうで怖い。そのうち特定の世代の悪口とか言うようになるんかな。可愛い女の子のはらわたにも(大抵の場合は)クソが詰まってるのは周知の事実だけど、クソの有無でその人の魅力が増減したりはしないだろ、最悪だ、なにもまとまらない。

 

 昔、子供に異常なくらい偉そうに振る舞う大人が大嫌いだった。そいつらと上手く上下関係作って、うんこさんは厳しいけど良い人だとか言う子供も本当にうんざりだった。子供の頃に上手くやっていけた大人は親も含めて皆無で、その時々で優しくしてくれる人はいたけど、そういう奴はよく堤防にいる魚から釣り針を外し餌をつけてくれるおっさんだったりして自分の学校生活やらには全く関係がなかった。俺は子供の頃から致命的に世渡りが下手だった。ユーモアのセンスでさえずれているのも自覚していた。一人だけ俺の事を面白いと絶賛してくれる女の子がいたけど、その子は異常に太っていた。俺も健康診断では毎回軽肥満だと言われた。まじで子供を太らせる親は罰せられるべきだと思う。

 

 他にも多分色んな理由があったんだと思うけど、そんな感じで子供の頃にはもうやる気の減退が著しかった。好きなことやしたいことは色々あったけど、学校でやらされることに文句を言いながらもなんだかんだで夢中になれたり、とりあえずそれなりにやっておこうとする奴らの気持ちが全く理解できなかった。なんだかんだ周りに友達はいたが、友達たちとは学校への温度感が共有できるわけではなく、学校に通うのがうんざりだし学校が嫌いだとしょちゅう愚痴っていたら、でも学校がなかったら俺ら友達になってないんだよみたいなことを言わせてしまう有り様だった。

 

 そうして、大人になった今だけどやる気のなさは勿論相変わらずだ。子供の頃、学校をほっぽりだして早く叶えたかったいくつかの夢は、一つも叶わなかった。面白いと言われる機会は増えたが、面白いと言われるよりもむしろ当たり障りのない普通ぽい人間になりたいーまたは振る舞いたいー今の自分にはその言葉が鬱陶しくて仕方ない。しかも、たぶん段々と心を病んでいっている。むしろ、子供の頃から少しずつ病んでいっている気がする。親兄弟との関係は年々悪化し、俺対その他みたいな感じで完全に崩壊しているのに親からやたらフレンドリーな感じで連絡が来てマジで悪寒がしてずっと無視してる。縁切るっていいだしたのどっちだよ。おまけに肘や膝が痛い、耳と頭と肩もたまに。一年位休養をとりたいけど、金はないし実家には帰れねぇ。煙草はやめられない。コーヒーも、だから息は臭い。落ちこぼれ人間のステレオタイプみたいな状況だとわかってはいるし、今から頑張ればもう少しなんとかなるのはわかっている、少し頑張ればバキュームカーが来て俺のうんこをすいだしてくれる気がする、しかしどうにもやる気がない。

 

 

完全に限界な感じ

  折り合いをつけて何かに対して納得したり、仕方ないと諦めて妥協をしたりすることが昔から苦手だった。だから子供の頃は不満だらけで、何かはっきりとした理由がある時もそうでない時も腹を立てていたような気がする。そんな記憶も大人になってから作られたものかもしれないけど。

  いつからか自分はどうしようもなくわがままな人間で、だから不満まみれなのだろうと思うようになった。優しくしてくれる人達にはもっと優しくしてもらいたい。何故だか自分を愛してくれる人にはもっと激しく愛してもらいたい。みんなが永遠に自分だけを尊重していて欲しい。したくないことはしたくないし、嫌になったら即座に辞めたい。苦手なものからは離れたいし好きな人やものには溺れる程に囲まれていたい。物資的な事なら人よりも我慢が効く方だと思う。貧乏も耐えられるし、欲しい物だって我慢できる。だけど、数字で表せない、自分の中でだけ測れるようなものやことになると途端に歯止めが効かなくなる。勿論、それを口に出したりすることはないけど、いつも胸が苦しくて、ふと我に帰った時に辛くてたまらない。

  若い頃は、きっとこんな気分になるのは今のうちだけで大人になったらもっと自分と上手く付き合っていけたり、開き直って楽に生きられるようになるのだと思っていた。まさかこんなにも自分が自身の人生や生活の足を引っ張り続けるなんて思いもよらなかった。

  もしかしたら、今の自分の生活やここ数年の出来事や環境、まぁとにかくなんだかさっぱり上手くいってないからこういう風な思考になっているだけで、少し色々と上向いてきたら、今みたいな悩みは気にならなくなるのかもしれない。でも、またここに立ち返ってしまうのだろうなという予感がする。

  この前、自転車で遊歩道のようなところを走っていた時に太い木の根っこにタイヤを取られて派手に転んでしまった。傷口から血が出ているか確認しながら、いつ以来のことか考えてみたけど思い出せなかった。